2012年01月08日
私が介護の仕事に入った訳
もう大分昔になる、25年以上は経っていると思う。長男次男が幼稚園に通っている頃、
近所に小山さんと言う方が住んでいた。
娘さんが3人いて、幼稚園は違うけれど、私と同じく歩いて子どもの送り迎えをしていた。
時々途中で会うと、あいさつや子育ての話をちょっとする位の感じだった。
ある日、その小山さんと親しくしている友達から相談があった。
今、小山さんのご主人が静岡の病院に入院している。
難病のALSという病気だが、これといった治療方もない、
気管切開をして、話すことも寝たきりで体を動かすこともできない。
でも幼い子供達の為に裾野に帰ってきて、少しでもお父さんと一緒にいる時間をつくりたい。
そのためには、多くのボランティアさんの力が必要なんだが、力をかしてほしい、
でも帰る為には、まず主治医を見つける事が必要で、
奥さんがあちこちに、聞いて回ってやっと1人受け入れてくれる先生が見つかった。
だからなんとかお父さんと一緒に過ごす時間をつくってあげたい、と話した。
お互いに幼い子供をもつ身
そして小山さんの奥さんは、すらーっと背が高くきれいなのに
化粧っけもなく、でもいつも笑顔でやさしい話し方をするひと。
1も2もなく承知した。
そして、小山さんプロジェクトが立ち上がった。
帰って来る前に、ボランティアは講習が2日あった、
まずALSという病気の勉強、次はミキサー食の作り方、清拭のしかた。
当時の私は清拭の意味もしらなかった。
いよいよ、小山さんが静岡から裾野に帰ってきて、
明日からボランティアという日
はじめて主人に、小山さんの話をした。
すると主人は、 だめだ、あんたになんかできっこない、
もう、怖い顔をして口もきいてくれない。
だからと言ってやめる私でもない。
色々と考えた末
今日、ちょっと小山さんの家に寄ってみたらボランティアさんは、食事を作るだけなんだって、
とか
人がいなかったから、病室に清拭用のお湯を運んだとか、
たった10分間の散歩に2時間もかかって支度をするんだよ、とか。
小山さんの奥さんてご主人の唇の動きで会話をして、
いつも私達にお父さんがこう言ってるからこうする、とお父さんの意見が絶対なんだよ。
こんなふうにぼちぼちと、言って聞かせた。
でもね、
小山さん家に行くと
夜勤あけの看護師さんが家に帰る前に、小山さん家に寄ってタンの吸引をしていたり
保健婦さんが今日は公休だから奥さんとかわったとか、
何といっても、タンの吸引は2時間に1回以上しないと生死にかかわるから。
奥さんは不眠不休で介護していた。
少しは寝れたと聞くと
うん娘がタンの吸引を覚えてくれたからと、
まだ小学生の娘さんが手伝っていた。
こんな事間違っている、
当時の私は裾野市の介護課に談判にいった。
そして小山さんの実情を訴え、
なんとか家族の負担を軽くしてほしいと話した。
その時の担当者が勝又さんと言う人で
わたしの話を熱心に聞いてくれ、
週に1度くらいなもんだったけど、
派遣の看護師さんが来てくれて、少しは介護交代ができた。
ボランティアがはじまって、4~5年したころ、私が40歳を過ぎて妊娠した、
出産して4~5か月のころ病室につれて行った。
入ったら、いきなりギャーと大声で泣き出した、
でも奥さんが、さっと息子を抱きかかえて、ご主人に見せていた。
そのころはもう唇の動きでの会話はできなくて
奥さんが、あかさたな、はまやらわ、とゆっくりると言いはじめ、
か、の所でまぶたを閉じると、か行で、かきくけこの、かで、か
次に又あかさたなの、や行で、やゆのゆで、かゆい、と言うふうに。
時間をかけて会話していた。
そんな状態でもご主人の意見はしっかり聞いて
奥さんも今日お父さんに怒られちゃった、とか
何年たっても、どんな状況でも、お父さんは絶対だった
3男が1歳になり、
病室でも遊ぶようになった頃
ご主人が亡くなった。
6年間のボランティアだった。
私達ボランティア仲間がこんなに続いたのは、
どんな時も絶やさない
奥さんのえがおと感謝の言葉だった。
あの時の仲間が何人か介護の仕事に入った、
主治医の先生から、もうどんな介護の仕事もできますよ。
とのお墨付きをもらった。
でもね
家族の問題や、やりくりの問題
いろんな事をクリヤしてきた
あなただから
小山けいこさん
あなたが私の介護の神様です。 デイサービス なでしこ 責任者 梶 みちよ
近所に小山さんと言う方が住んでいた。
娘さんが3人いて、幼稚園は違うけれど、私と同じく歩いて子どもの送り迎えをしていた。
時々途中で会うと、あいさつや子育ての話をちょっとする位の感じだった。
ある日、その小山さんと親しくしている友達から相談があった。
今、小山さんのご主人が静岡の病院に入院している。
難病のALSという病気だが、これといった治療方もない、
気管切開をして、話すことも寝たきりで体を動かすこともできない。
でも幼い子供達の為に裾野に帰ってきて、少しでもお父さんと一緒にいる時間をつくりたい。
そのためには、多くのボランティアさんの力が必要なんだが、力をかしてほしい、
でも帰る為には、まず主治医を見つける事が必要で、
奥さんがあちこちに、聞いて回ってやっと1人受け入れてくれる先生が見つかった。
だからなんとかお父さんと一緒に過ごす時間をつくってあげたい、と話した。
お互いに幼い子供をもつ身
そして小山さんの奥さんは、すらーっと背が高くきれいなのに
化粧っけもなく、でもいつも笑顔でやさしい話し方をするひと。
1も2もなく承知した。
そして、小山さんプロジェクトが立ち上がった。
帰って来る前に、ボランティアは講習が2日あった、
まずALSという病気の勉強、次はミキサー食の作り方、清拭のしかた。
当時の私は清拭の意味もしらなかった。
いよいよ、小山さんが静岡から裾野に帰ってきて、
明日からボランティアという日
はじめて主人に、小山さんの話をした。
すると主人は、 だめだ、あんたになんかできっこない、
もう、怖い顔をして口もきいてくれない。
だからと言ってやめる私でもない。
色々と考えた末
今日、ちょっと小山さんの家に寄ってみたらボランティアさんは、食事を作るだけなんだって、
とか
人がいなかったから、病室に清拭用のお湯を運んだとか、
たった10分間の散歩に2時間もかかって支度をするんだよ、とか。
小山さんの奥さんてご主人の唇の動きで会話をして、
いつも私達にお父さんがこう言ってるからこうする、とお父さんの意見が絶対なんだよ。
こんなふうにぼちぼちと、言って聞かせた。
でもね、
小山さん家に行くと
夜勤あけの看護師さんが家に帰る前に、小山さん家に寄ってタンの吸引をしていたり
保健婦さんが今日は公休だから奥さんとかわったとか、
何といっても、タンの吸引は2時間に1回以上しないと生死にかかわるから。
奥さんは不眠不休で介護していた。
少しは寝れたと聞くと
うん娘がタンの吸引を覚えてくれたからと、
まだ小学生の娘さんが手伝っていた。
こんな事間違っている、
当時の私は裾野市の介護課に談判にいった。
そして小山さんの実情を訴え、
なんとか家族の負担を軽くしてほしいと話した。
その時の担当者が勝又さんと言う人で
わたしの話を熱心に聞いてくれ、
週に1度くらいなもんだったけど、
派遣の看護師さんが来てくれて、少しは介護交代ができた。
ボランティアがはじまって、4~5年したころ、私が40歳を過ぎて妊娠した、
出産して4~5か月のころ病室につれて行った。
入ったら、いきなりギャーと大声で泣き出した、
でも奥さんが、さっと息子を抱きかかえて、ご主人に見せていた。
そのころはもう唇の動きでの会話はできなくて
奥さんが、あかさたな、はまやらわ、とゆっくりると言いはじめ、
か、の所でまぶたを閉じると、か行で、かきくけこの、かで、か
次に又あかさたなの、や行で、やゆのゆで、かゆい、と言うふうに。
時間をかけて会話していた。
そんな状態でもご主人の意見はしっかり聞いて
奥さんも今日お父さんに怒られちゃった、とか
何年たっても、どんな状況でも、お父さんは絶対だった
3男が1歳になり、
病室でも遊ぶようになった頃
ご主人が亡くなった。
6年間のボランティアだった。
私達ボランティア仲間がこんなに続いたのは、
どんな時も絶やさない
奥さんのえがおと感謝の言葉だった。
あの時の仲間が何人か介護の仕事に入った、
主治医の先生から、もうどんな介護の仕事もできますよ。
とのお墨付きをもらった。
でもね
家族の問題や、やりくりの問題
いろんな事をクリヤしてきた
あなただから
小山けいこさん
あなたが私の介護の神様です。 デイサービス なでしこ 責任者 梶 みちよ
Posted by どんぐり at 12:00│Comments(4)
│てづくりデイサービスなでしこ
この記事へのコメント
はじめまして。記事を読んで胸が詰まりました。
私にもALS闘病中の知人がいます。現在は頬のわずかに動く筋肉を使ってパソコン操作をしています。私のメールにも長い時間をかけて返信してくれます。その方のために何もできない自分がいます…。
私にもALS闘病中の知人がいます。現在は頬のわずかに動く筋肉を使ってパソコン操作をしています。私のメールにも長い時間をかけて返信してくれます。その方のために何もできない自分がいます…。
Posted by さとちゃん at 2012年01月08日 18:29
辛いですね、でもお友達はさとちゃんに、色々な事をおしえてくれているんですね。さとちゃんの存在、それだけでいいと思います。
Posted by さとちゃんへ at 2012年01月09日 06:57
わたしも虐待された児童のケアに取り組んでいます。
気の遠くなるような作業の積み重ねの果てにかすかな明かりが見えてくることを励みに続けています。
今後ともよろしくお願いします♪
気の遠くなるような作業の積み重ねの果てにかすかな明かりが見えてくることを励みに続けています。
今後ともよろしくお願いします♪
Posted by 十里木ライフ at 2012年01月12日 12:09
村山さんや、鶴飼さんをご存じとは、十里木ライフが長いですね。私達も三島の家の方が広いし便利なのですが、十里木に来て早14年、でもまだ14年、山の暮らしをまだまだ続けようと思っています。三島のデイサービスなでしこまで30分で着きます、今度ぜひ見学に来て下さい。
Posted by 十里木ライフさんへ at 2012年01月12日 20:35